あいべや日記

"東大生2人と共に、3人でWebサービスを作りながらルームシェアしませんか!?"という、とあるサイトへの投稿から始まった物語

外からの刺激を求めてブログ再開

3人で毎日更新しようね!と決めたはずのブログが、なぜ1ヶ月で途絶えたのか。

3人で作ろう!と決めたはずのアプリが、なぜ4ヶ月半経った今もリリースされていないのか。

そしてなぜ私は、12時出社の会社に遅刻するのか。認めたくない。認めたくないが、お詫びの連絡を会社にいれる。今日は地球の自転が早いんですかね。てへぺろ

真剣に考えてみよう。

当初はかくあるべきと疑わなかった決め事が、その大変さを理解するに従い、面倒な厄介事に変わり、いつしかそんな事があったことすら忘れる。皆さんも身に覚えがないだろうか。

例えば、2日連続で同じ靴下を履くなんてあり得ないと思っていた中学生が、社会人となり一人暮らしを始め、洗濯の面倒さを知り、まあ2日ならセーフかな…となり、いつしか洗ってあるのか洗ってないのかすら意識しなくなる…。(怖い!)

このような流れを、問題が内部化される、と定義しよう。靴下の例であれば、靴下は常に清潔であるべき!という問題を、大人になった彼は内部化したのだ。(なんかカッコいい!)

内部化されてしまった問題は、なかなか意識されない。意識されないので、改善もされない。改善する為には、もう一度その問題を外部化する必要がある。

外部化には大きく分けて2つあると思われる。1つは、まだ内部化されていない別の問題として捉え直すという手法だ。

上記の例で言えば、靴下が清潔であるかどうかという問題は、彼にとって問題ではなくなってしまったが、新たに、毎週土曜日は必ず洗濯をする、という課題として捉え直すことで、靴下問題は解決するかもしれない(7足、できれば8足以上の靴下を持っていれば!)

言葉遊びに思える。が、問題解決力の高い人達は、この捉え直しがとても上手いような気もする。有効かどうかはさておき、これが外部化の方法その1だ。

そして、外部化の方法その2として、〈内部〉が指すものを変える、がある。

靴下清潔問題の例で言えば、内部は大人になった〈彼個人〉を指している。この内部が、例えば、〈彼と彼の好きな女性〉に変わると(靴下を洗わない人はちょっと…と振られるなど)、問題はもはや彼個人の内部にはなく、外にはみ出している。

普段は大して気にしない部屋の散らかりを、友達や客人が来るときだけ掃除をするのも、内部が指していたものが変わるからと言える。逆に、内部が集団を指している場合(3人で毎日更新しようね!)、それを自分個人のものとすることで(たとえ1人でも、3日に1度は更新する!)、活路が見出せることもあるかもしれない。

長々と書いてきたが、結局何が言いたかったのか。外に対して閉じていては、目覚しい変化は望めないということ?

兎にも角にも、ブログを再開しようと思います。更新は、3日に1度くらいになると思います。あいべやで内部化されていた問題を、外部の力に頼ることで、新しい段階へと進めていけたらと思います。

外部の皆様、よろしくお願い致します。少しでも面白いと思ったら、あいべやへの食料支援をお願いします。良質なタンパク質が嬉しいです。