あいべや日記

"東大生2人と共に、3人でWebサービスを作りながらルームシェアしませんか!?"という、とあるサイトへの投稿から始まった物語

妄想起源説

もし自分がサトラレだったらどんなことをしよう。
男性にはよくある妄想だ。

こんな仕様もないことを何故みんながみんな思いつくのか不思議だが、とにかくコッチ系の妄想は楽しい。真剣な話し合いの場で親父ギャグを繰り返すこともできるし、周りの女の子に合法的なセクハラをすることもできる。もっとどうしようもない妄想の数々が、みんなの頭を流れていることだろう。

流れてはいる。流れてはいるのだけど、やはり我々はサトラレではないので、その妄想はほとんど世の中に出てこない。陽の目を見ない。99%の妄想は、その発想者を楽しませるだけで役目を終えてしまう。電波ジャック、いや妄想ジャックなんてことができたら、きっと凄いことになるんじゃないか。うん、まさにこういう妄想達は人知れず消えていく。

人知れず消えていくのは、妄想だけではない。思いつきとか、考えとか、好きな人への思いだとか、世界に対する疑問とか、とにかく色んな事が、みんなの中だけで消えていく。今書いているこれだって、今文章にしていなければ、明後日ぐらいには消えていたかもしれない。

勿体無い。消さないためには、外に出すしかない。しかし妄想やその他色々を外に出すのは、簡単なことではない。自分と、自分の妄想が別個に扱われるならよいが、大抵はセットで見られる。◯◯さんから出てきた、◯◯という妄想、という扱いになる。それはやはり恥ずかしい。そうじゃない人も居るけれど、多くの人にとっては恥ずかしい。ある種の羞恥プレイだ。

ところが、その壁を超えて、恥ずかしいことに慣れていくと、それは快感に変わる。癖になる。脳みそのどういうメカニズムがその快感を生み出すのか知らないが、止まらなくなる(らしい)。そんな止まらなくなった妄想やら色々が形を成して、この社会をつくって来たのだ。きっと。

私も折角特殊な環境にいるのだから、特殊な環境で培養された妄想を外に出していきたい。そのまま出すと、害にしか成らないので、綺麗なところだけ取り出して、オブラートに包んで、どこかのだれかに役立つ何かにして、私の妄想をお届けしたい。もとい、私達の妄想をお届けしたい。

今日はそんなことを考えました。